ダイアリー

10/26 忘却と記憶

2019年10月26日

昨日の雨の被害が甚大だ。先週の台風の後にまたこんなに降るとは。もう11月なのに。

昨日の ゲンロンカフェで開催された「ユートピアを記録する/記憶する コンセプチュアリズムとペーパーアーキテクチャから見るロシア芸術」(上田洋子×鴻野わか菜 ×本田晃子)は情報量も多くとても興味深い内容だった。

本田氏による主にアレクサンドル・ブロツキー&イリヤ・ウトキンのソ連時代の紙上のアンビルト建築計画・ペーパーアーキテクチャの作品を中心とした紹介と解説。それぞれの意図とメッセージは両義性も含めて幾重にも複合的にとることができ、シニカルで寓意的で刺激的でそしてユニークで、どの図版も前のめりで見てしまった。失われた住まいの博物館という建物の納骨堂、過去から現在までの建造物が入れ子状態で重なり海を漂うノアの方舟という作品、近づくとただのガラスの板の重なりというクリスタルパレス、またブロツキーによる廃墟の建築などなど…。

鴻野氏は、「人は存在しないもの、実現不可能に思われるものを夢見る生き物であり人類全体の特性であると同時にロシア文化の特性のひとつ」という脈絡でソ連、ロシア芸術を振り返ったのだが、中でもイリヤ・カバコフについて詳細に語ってくださり密かに興奮。私は絵本からカバコフを知った稀有な立場なので、カバコフの絵本挿絵に対する冷めた?姿勢には少々複雑な思いがある。が、芸術家としての活動にはとても魅力を感じるし、さらによく知りたい思いでいる。

詩についての「さきに世を去った詩人たちの言葉を記録し、永遠のものにするという使命感を多くのロシアの詩人たちが抱いている」という言葉が心に残る。(これを聞き、詩人ではないけれど、詩の言葉の記録(記憶)という意味で私のロシア語の先生のことを思った。まさに古い時代の詩の言葉が魂と共にある方なのだ。ロシアの詩の文化は本当にすごい)

絵本という点では、カバコフの「プロジェクト宮殿」という作品の中の架空の人物の1人、ベットに横たわり昔親しんだ絵本の挿絵を眺める青年のことが気にかかっている。色々と質問したかったのだけど、とりあえず宿題として持ち帰ることに。

上田氏による進行や共感や補足や質問など含めてお三方のやり取りは雰囲気もよく聞きやすくよかった。もう少し対話的なところで深まるお話お聞きしたかったというところもあったけれど。
ご紹介いただいた主な作品や作家たちやお話を通していただいた今回のテーマにおけるメッセージは、まずとにかく失われた人、時間を忘却せずに記憶にとどめ続けてゆくこと、その視点は本田氏の言葉を借りると「大きな主語」ではなくごく身近なものであり、そして、失くしたもの(人)があまりにも多い歴史の中で、鴻野氏の言葉「夢見る力」により芸術が生まれてきた道のりが現在のアートにも引き継がれ、そしてそこには宇宙という思想があり…ということなのかなぁなどと思っている。無理やりまとめなくてもいいんだけどね。

そしてチシコフの「芸術とはものではなく思想である」という言葉をぼんやり胸に抱き、酔っ払いの方々で一杯の週末の山手線に乗って昨晩は帰宅したのであった。
学ぶこと多しのよきイベントだった。感謝!(直)


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