美しいロシア絵本の世界を是非お手元でお楽しみください。
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2019年10月26日

昨日の雨の被害が甚大だ。先週の台風の後にまたこんなに降るとは。もう11月なのに。

昨日の ゲンロンカフェで開催された「ユートピアを記録する/記憶する コンセプチュアリズムとペーパーアーキテクチャから見るロシア芸術」(上田洋子×鴻野わか菜 ×本田晃子)は情報量も多くとても興味深い内容だった。

本田氏による主にアレクサンドル・ブロツキー&イリヤ・ウトキンのソ連時代の紙上のアンビルト建築計画・ペーパーアーキテクチャの作品を中心とした紹介と解説。それぞれの意図とメッセージは両義性も含めて幾重にも複合的にとることができ、シニカルで寓意的で刺激的でそしてユニークで、どの図版も前のめりで見てしまった。失われた住まいの博物館という建物の納骨堂、過去から現在までの建造物が入れ子状態で重なり海を漂うノアの方舟という作品、近づくとただのガラスの板の重なりというクリスタルパレス、またブロツキーによる廃墟の建築などなど…。

鴻野氏は、「人は存在しないもの、実現不可能に思われるものを夢見る生き物であり人類全体の特性であると同時にロシア文化の特性のひとつ」という脈絡でソ連、ロシア芸術を振り返ったのだが、中でもイリヤ・カバコフについて詳細に語ってくださり密かに興奮。私は絵本からカバコフを知った稀有な立場なので、カバコフの絵本挿絵に対する冷めた?姿勢には少々複雑な思いがある。が、芸術家としての活動にはとても魅力を感じるし、さらによく知りたい思いでいる。

詩についての「さきに世を去った詩人たちの言葉を記録し、永遠のものにするという使命感を多くのロシアの詩人たちが抱いている」という言葉が心に残る。(これを聞き、詩人ではないけれど、詩の言葉の記録(記憶)という意味で私のロシア語の先生のことを思った。まさに古い時代の詩の言葉が魂と共にある方なのだ。ロシアの詩の文化は本当にすごい)

絵本という点では、カバコフの「プロジェクト宮殿」という作品の中の架空の人物の1人、ベットに横たわり昔親しんだ絵本の挿絵を眺める青年のことが気にかかっている。色々と質問したかったのだけど、とりあえず宿題として持ち帰ることに。

上田氏による進行や共感や補足や質問など含めてお三方のやり取りは雰囲気もよく聞きやすくよかった。もう少し対話的なところで深まるお話お聞きしたかったというところもあったけれど。
ご紹介いただいた主な作品や作家たちやお話を通していただいた今回のテーマにおけるメッセージは、まずとにかく失われた人、時間を忘却せずに記憶にとどめ続けてゆくこと、その視点は本田氏の言葉を借りると「大きな主語」ではなくごく身近なものであり、そして、失くしたもの(人)があまりにも多い歴史の中で、鴻野氏の言葉「夢見る力」により芸術が生まれてきた道のりが現在のアートにも引き継がれ、そしてそこには宇宙という思想があり…ということなのかなぁなどと思っている。無理やりまとめなくてもいいんだけどね。

そしてチシコフの「芸術とはものではなく思想である」という言葉をぼんやり胸に抱き、酔っ払いの方々で一杯の週末の山手線に乗って昨晩は帰宅したのであった。
学ぶこと多しのよきイベントだった。感謝!(直)
2019年10月26日

明日はオープンルームはお休み。11月の予定は2、16、23です。よろしくお願いします。

五反田ゲンロンカフェで開催された「ユートピアを記録する/記憶する ーコンセプチュアリズムとペーパーアーキテクチャから見るロシア芸術」(鴻野わか菜 ×本田晃子×上田洋子)に行ってきた。7時スタートで終わったのが11時過ぎ!でもあっという間。図版もたくさんで内容濃くとても面白い内容だった。明日に続く。(直)
2019年10月25日

ビリービンは1942年にレニングラードで亡くなっている。昨日こちらで紹介した岩波新書の「独ソ戦」の中にもドイツ軍によるレニングラード包囲戦のことが詳しく書かれているのだが、読みながらビリービンのことを思った。飢えに苦しみ、敵が攻めてくる恐怖にさらされながらも、ビリービンは最後まで誇り高く、祖国を愛し守る騎士のようなプライドを持っていたという。

先日のイーゴリ・オレイニコフの講演会では、ビリービンのような美しい挿絵ではない、リアルを描きたい、というようなお話があった。そういう表現を目指すこと、それはそれで面白いなぁと思ったのと同時に、このお話から、オレイニコフのようなロシアの現代の第一線で活躍する画家にも引き合いに出されるほどビリービンの存在はやはり大きいんだ、偉大なんだとということをあらためて教えてもらえたわけでもある。すごいな、ビリービン!である。

画像はコンパクトなサイズで手軽にビリービンの ロシア民話の挿絵が楽しめる一冊。蛙の王女とマリヤ・モレーブナ収録。

2019年10月23日

「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(大木毅著/岩浪新書)を読んだ。この本、新書の売上ランキングで上位をキープ、7万部も売れているらしい。

少し前、ある出版社の人とロシア関連の本について話をしていて、ロシアって関心持っている人はそんなにたくさんはいないよね、などというちょっとさびしい流れになったのだけど、いやいや今ソ連関連で滅茶苦茶売れてる本がありますよ、と教えてもらったのがこの新書だ。帯文は「戦場ではない地獄だ」である。

戦争の実像とは過酷なものであるが、この戦いのここまでの凄惨さについて具体的に知るのは初めて。人類史上最悪といわれる所以を突きつけられる。

まずは、ソ連は大戦全体的で軍、民合わせて2700万人の死者、ドイツは600万〜800万人以上の死者を出したというとんでもない数字を直視しなければならない。

独ソ戦争の経緯は、政治や経済の側面、具体的な数字や例、微妙な心理的分析など盛り込み読みやすくまとめられていて、またヒトラーにおける絶滅戦争、そしてまたスターリンにおける大祖国戦争という根底的な思想、イデオロギーついてもわかりやすく書かれている。

帯の推薦文に「…人類史上最悪の戦争に正面から向き合うことが21世紀の平和を築く礎となるだろう」とある。
本当にそうであってほしいと思わざるをえない。(直)

2019年10月23日

昨日の続きでもないが、そういえば、ロシア絵本で宇宙的なものを扱ったものってどんなものがあっただろうと考えてみたところ、コズロフのお話を思い出した。

資料の棚にある「Осенние Сказки」。「秋のお話」だ。これはカランダーシで扱っている(現在品切れだがもうすぐ入荷)の「僕たち、ずっと一緒だよね? 」の中のいくつかのお話をまとめたものだ。邦訳は「ハリネズミくんともりのともだち」(岩波書店)。

実は「秋のお話」は画家がカランダーシのものや岩波書店のものとは違うのだが、こちらもとても素敵だ。この画像はその中の「どうやって雲を釣り上げるか」というお話。

ハリネズミと子グマが干し豆を餌に川で雲を釣ろうと釣り糸を垂らすのだが、釣れたのは、何とお月様。お月様はちょっとふらついたあと上空に戻り、その後、2匹はお星様を次々に釣り上げ、最後にお日様を釣り上げるというお話。

宇宙との距離感もそうなのだが、この小さな動物たちが暮らす森のお話には独特の世界観、哲学があり、奥が深い。とても心ひかれるお話たちだ。(直)

2019年10月21日

市原湖畔美術館で開催されている「夢見る力ー未来への飛翔 ロシア現代あーとの世界」展。昨日の続きである。

まず最初に私たちを出迎えるのはレオニート・チシコフによる「祖先の訪問のための手編みの宇宙ロケット」だ。着られなくなるまで着た衣類を割いてリボンにして編んでロケットの型に被せている作品だ。

ロケットの先端は天を指し、まさに未来への飛翔!の象徴のようでもあるが、このロケットは悲しいかな、天井から吊り下げられている。地上から同じ距離を保ったまま飛翔どころか、1㎜も進むことはできない。

しかし、それでいいのである。宇宙とは進むべき未来でもあるし、また還るべき故郷でもあるから…なんて思ったりもするのも、今展はまさにその宇宙とは何かということも含め、アーティストたちの作品を通してあれこれ思いを巡らさざるを得ないところがあったからなのである。

シンポジウムでは、ロシアが宇宙をどう捉えてきたのかを、沼野氏は思想や哲学、文学を通して、高橋氏は音楽、また鴻野氏はアートの文脈で語ってくださった。

沼野氏からはロシアコスミズムの潮流のお話もあり、高橋氏は革命における音楽家たちの企みを解説してくださり、そして、鴻野氏は象徴主義の時代から現代までの主だった動きとまた今展のアーティストについて詳しく述べてくださった。とても勉強になった。

絵本的立場からすると、ベヌアの絵に多く登場する噴水の解釈、「宇宙的な高みを目指す人間の心」が面白かった。彼の描く水に映った風景描写は美しい。

水辺に映るといえば、地下階には水を張ったポノマリョフのインスタレーション作品があった。タイトルは「ナルシス」だ。彼は、ここではないどこか、を海に求め、彼にとって宇宙を感じる場所という南極でビエンナーレを開催しているアーティストだ。

知識もなくアート云々を語る立場ではないという前置きは必要だし、また断片的な情報から物を語るのは気がひけるのだけれども…アメリカのアートサイドがテクノロジーに乗っかる方向で、実際の宇宙で美術展を開こうと考え、まずは人工衛星に絵を描いたりしていることを読んだりしていて、そこと単純に比較するのは無謀すぎるのかもしれないけれど、今展の作品を見る限りにおいて、コスミズムに向き合うことから作品を作ったり、月を抱えて世界を旅したり、人生を振り返ったり、天国をイメージしたり、和紙と竹で美しい羽根を作ったり、海を越えて極地を目指したり、というところが、ああロシアなんだなぁとしみじみ思ったり。

さて、それはそれとして、帰り道、すっかりコスミズム!に感化された私からは、車から遠くに見えるカッコイイ市原湖畔美術館の建物自体がまるで宇宙基地のようにも見えたし、展望台がまるでロケットの発射台にも見えたり。

とすれば屋上のトクサの群れのようなパイプオブジェは宇宙と交信しながら揺れるはずだろう。多分。きっと。(直)
市原湖畔美術館
2019年10月21日

千葉の市原湖畔美術館へ「夢見る力-未来への飛翔 ロシア現代アートの世界」展を見に出かけてきた。今日は午前中に鴻野わか菜さん(今展ゲストキュレーター/早稲田大学教授)のギャラリートーク、午後からは沼野充義さん(ロシア東欧文化/東京大学教授)、高橋健一郎(ロシア音楽/札幌大学)さんと鴻野さんのシンポジウムが開催された。

今日は久しぶりにマタンカちゃんも一緒にお出かけ。湖畔に佇む美術館で秋の1日を共に過ごした。続く。(直)

2019年10月19日

オープンルームありがとうございました。
次回は11月2日となります。よろしくお願いします。

お客様のMさんからソビエト時代の絵本をカランダーシで活かしてほしい、との言葉と共にたくさん頂戴した。大変ありがたい。そしてとても嬉しい。ソビエトに赴任されていたお父様からの贈り物だったそうで、1冊ずつ表紙に鉛筆のナンバリングがある。

今日頂いたものは初めて見るものばかりで、塗り絵などのお楽しみ絵本や貴重な雑誌も含まれておりソビエト時代の絵本界隈事情の豊かさにあらためて気づかされている。

また、頂いた絵本をながめていると、父親が子どもを思う気持ちが伝わってきて感慨深い。とても丁寧に選んでいるのがよく分かるのだ。絵本の選択というものは言葉が適当かとうかわからないか実はとてもクリエイティブなものなんだとも思わされている。

これらの絵本は、ダイアリーで少しずつご紹介もしていきたいが、カランダーシにあるソビエト時代の絵本を「活かす」ことは考えてゆきたい。感謝をこめて。(直)
2019年10月18日

明日はオープンルームです。10月はこれで最後。11月は2、16、23を予定しています。どうぞよろしくお願いします。

カランダーシの部屋には資料としての日本語訳のロシア絵本も置いてある。とくに増やしていこうというつもりはないのだが、いただいたり、出かけた時に目をつくと、へぇ、こんな絵本があったんだとつい買い求めたりしてきた絵本たちだ。

こちらも是非ご覧になっていただけたら嬉しい。(直)
2019年10月18日

ロシア語の先生に見せていただいた1959年刊のロシア語版プーシキンの「ヌーリン伯爵」。ちょうど60年前に発行されたということになる。きれいな色合いのカバーは当時としてはかなりモダンだったのではないか。挿絵も洒落ていて素敵なのだが、画家の名前は分からなかった。

先生はこの一冊分の詩を全部暗唱できるという。お願いしたら、途中までだが、朗々と諳んじてくださった。以前からどんなロシア語の文章でも気持ちを込めて読んでくださっているのが伝わってくるのだが、プーシキンの詩に関してはまた思い入れが違うようだ。

先生にとってプーシキンはとにかく別格で、尊敬し、また愛してやまない存在である。小学生の頃からいくつもの詩を読みこみ、難しい言葉の意味を調べ、自分の語彙を増やしていったという。小説よりも詩で使われる言葉の方が難しく、詩の方が文学として優れている事、そしてその詩の作り手として圧倒的トップに君臨するのが何といってもプーシキン!であること、そして、37歳で死んだことはとても残念だ、などなど話してくださった。

ありがたく貴重なお話だった。
たっぷりの紅茶をいただきながら。(直)
2019年10月16日

キンモクセイがあちこちで一斉に咲いている。良い香りだ。鼻を効かせて花を探しながら歩いたり。気温も下がってきた、秋本番といったところだろうか。

サモワールの形をした「サモワール」という絵本。ロシアの古くから伝わる短く楽しい詩を集めた絵本。ビトゥーシキ、バトルゥーシキというパンの名前が繰り返し出てくる何とも美味しそうな詩のページでは、立派な旧式の煙突を付けたサモワールが登場している。

お茶が美味しい季節になってきた。カランダーシの部屋のサモワールも出番が多くてなるだろう。熱いお茶で温かな時間が過ごせるといいな。(直)

http://karandashi.ocnk.net/product/280
2019年10月15日

まだ全貌がわからないですが…台風の被害に遭われた皆様にこころよりお見舞い申し上げます。

先日オープンルームにいらしたSさん。夏に旅行されたバルト3国の絵本などを持って来てくださった。左上から時計周りにリトアニアのおとぎ話絵本、ラトビアの昔話絵本、リトアニアの民族音楽のCD、エストニアのお話集だ。それぞれ特徴があり興味深い。

リトアニアの絵本(編/ブロニスラバ・ケルベライト、絵/イレナ・シビリウビエン)は英語版。神秘的なお話と落ち着いた色調の幻想的な挿絵に引き込まれる。リトアニアの絵本(絵/アギジヤ・スターカ)はなんと英語対訳版。短い素朴なお話を2ヶ国語で楽しめる。リトアニアの子どもたちの英語学習のための絵本なのだろうか。そしてエストニアの本(編/タルベット、英語/タムサール)は、なんとロシア語版。こちらは文字も多い児童書の部類になると思うが、端正な不気味さに満ち溢れた挿絵に痺れている。タリンのガイドブックもお借りしてきのだが、明るいような暗いような光射す街並みや色合いが絵本の雰囲気が呼応しているようにも思えて面白い。

これらの絵本はしばらくお借りできるとのこと。感謝! 魅力的で珍しい絵本たち、オープンルームの際に是非ご覧ください。(直)
2019年10月14日

冷たい雨の月曜日。連休最終日だが周りは静かだ。熱いお茶が美味しい。

カランダーシ刊「わいわいきのこのおいわいかい」はきのこに関心が高まるこの季節。注目していただきたい絵本だ。擬人化されたたくさんの種類のきのこが登場する。絵は国際アンデルセン賞受賞画家のマーヴリナだ。

右のページのキンチャヤマイグチやヤマイグチたちは白樺の林に生えるきのこ。だから頭に白樺の葉が乗っているし、ヤマドリタケのおじいさんへの贈り物に白樺の皮で編んだ靴を持っていく。というわけだ。実際、ロシアの森でたくさん見かけたきのこだ。

先日北海道に行った時、白樺の林をたくさん見かけたのだが、もしかしたらイグチの仲間のきのこが生えていたのかもしれない。

旭山動物園に行く時に、バスツアーで行ったのだが、ガイドさんが、白樺は腐りやすく燃えにくいのであまり役に立たない、シロップのジュースはありますけどねーと言っていた。

その言い方を聞いて、白樺を国民の木として愛してやまないロシアとはちょっと温度差があるかもと思ってしまった次第。風景としてもとても美しいと思ったけれど、見慣れてる人からするとあまり感動はないのかもしれない。(直)

http://karandashi.ocnk.net/product/97
2019年10月13日

台風一過。抜けるような空。家の周りを点検して取り込んでいたプランターを戻す。そんなこんなで庭先でバタバタしていたらふわっと金木犀が香った。季節は進む。何があっても。だ。台風は大きく深い爪痕を残して未だにその全貌はつかめていない。

午後からはお知らせをいただいていた国分寺の「てのわ夜市」へ。夏に原画展でお世話になったおばあさんの知恵袋さんの前のフロア全体に様々な出店が出るイベントだ。おばあさんの知恵袋さん手作りのキャラウェイシードが効いた本格的なザワークラウトをいただいたり、古本屋さんをのぞいたり。

テーブルの上には台風19号の義援金の入れ物か置いてあった。無事にこのイベントが開催されたのはよかったと思うと同時に目の前の光景が夢のようにも見えて。
本当に昨日から今日、現実があまりにも重く大き過ぎて困惑している。

彼の地にも金木犀は香っているのだろうか。
2019年10月12日

午後10時現在、雨風かなり強い。今台風の中心は松戸あたりらしい。テレビが緊迫した状況を刻々と伝えていている。

画像は玄関に取り込んだプランターたち。カネタタキが一緒だったらしく時折鳴いている。

どうか被害がなるべく最小限になりますように。(直)
2019年10月11日

台風がやってくる。カランダーシの部屋のベランダの鉢植えも取り込んだ。2つだけだけれど部屋に入れると結構場所をとるものだ。

ビリービンの「人魚姫」のハードカバー版。表紙も中の紙も艶がなく色味が落ち着いており、PB版とはまた違った雰囲気だ。

先日のイーゴリ・オレイニコフ氏を迎えての講演会では、沼野氏もオレイニコフ氏もビリービンについて言及していた。ロシア絵本の歴史を振り返る時に必ず紹介され、また、そのあまりに素晴らしい足跡は、よくも悪くも引き合いに出されてしまう、それほど偉大な存在なのだとあらためて思わされた。

この人魚姫は、ビリービンが国内の混乱を避けて 亡命した後、再びロシアに戻ってきてからの作品である。そのころは絵本の挿絵の世界も社会主義リアリズムの時代になっており、祖国にビリービンの居場所はあったと言えるだろう。

表紙の人魚姫はヴィーナスの誕生の面影を感じさせる。手に持つ赤い花はガーベラ系の花なのだろう。でも、もしかして…イソギンチャクかも、と一瞬だけ思ってしまった私を偉大なビリービンは許してくれるだろうか。挿絵の中ではお花のようにさいている?赤いイソギンチャクが描かれているので。(直)
http://karandashi.ocnk.net/product/379
2019年10月11日

台風のため、土曜日のオープンルームはお休みにします。次回は来週19日です。

Oさんから10/26、27開催の神保町ブックフェスティバルのパンフレットをいただいているのでご紹介。すずらん通りに参加出版社によるワゴンが並びお得な価格で本が買えたりもするもするし、様々なイベントも。

10/25〜11/4まで神田古本まつりも開催されているので、街全体が本のおまつり状態となる。

読書の秋にふさわしい毎年恒例のおまつり。期間中この界隈ではスニーカーとリュック姿の人たちをたくさん見かける。

それこそ、お天気は大事。晴れるといいな。(直)

http://jimbou.info/news/book_fes.html
2019年10月09日

今日は初めての場所までバスの旅。久しぶりにTommy february6のあの歌を思い出しながらバス停でバスを待つ。

石神井にある村山敦子さんが水曜日だけオープンされている「カフェ・スレダ-」さんにお邪魔した。スレダ-とはロシア語で水曜日のこと。すなわち水曜日しか開いてないカフェ。そこで、村山さん手作りのランチやお茶をいただけるのだ。

村山さんはロシア語の翻訳者でもあり、児童書の「お日さまとトナカイ」(新読書社)などの翻訳書がある。先日、カランダーシのオープンルームに遊びに来てくださったので、今度は私が訪ねることにしたのだ。

お父様のお家だという一軒家のリビングを開放されて、そこで書棚の本を見ながら、またお庭の緑を眺めながら、お食事が出来上がるのを待ちつつ、あれこれ他のお客様ともおしゃべり。今日は私の他におふたりのお客様がみえていたのだが、その内のおひとりは知っている方だったこともあり、初めての場所にもかかわらずとてもリラックスして過ごすことができた。

お料理は、サラダ、パン、カツオのシナモンソテータルタル添え、タンドリーチキン、きのこのスープ。そして東ティモールのフェアトレードのコーヒー。どれも家庭的だけれども本格的なお味。ひとつのテーブルで皆で和気あいあいといただくスタイルだ。

こちらは夜もやってらして、一人暮らしの方などに喜ばれているそう。確かに。全くお家でご飯をいただくような雰囲気で食事ができる、こんなありがたい場所はそうそうないだろうと思う。

カフェだけではなく、音楽会やオープンマイクなどのイベントも随時開催しており、文化発信、交流の場になっている。カランダーシはカフェではないけれど週に一度の自宅開放、ロシア関連など共通項もある。今後も情報交換などよい交流をさせていたけたら幸いだ。

それにしても、近所のバス停からバス一本で行き来できるなんて発見だ。今度は近くの石神井公園も一緒に楽しみたい。(直)

2019年10月09日

また台風が来ている。かなり強力らしい。今回はプランターを全部家の中に入れなきゃ、と思っている。

表紙に描かれているのは逆巻く波に一艘の船とイルカたち。ロシアでとても有名な「ねことクジラ」の絵本の2018年版。カランダーシの書棚にある82年版とは画家は同じだが、表紙も異なり、中の絵も同じようでやはり違う。画家はミシコーフ。

ねことクジラか入れ替わる愉快で楽しいお話だが、この絵本はクニーシカの会で訳しているので、訳文と合わせて読んだり、あるいは82年版と絵を比べてみるのも面白いと思う。オープンルームの時にどうぞご覧ください。次の土曜日は台風が心配だが。(直)


2019年10月07日

10月6日。国際子ども図書館のアーチ棟研修室にて午後から「現代ロシアの芸術と絵本-国際アンデルセン賞作家イーゴリ・オレイニコフ」を聞く。

まずは沼野充義氏による講演「現実をおとぎ話にする-想像力の解放区としてのロシア児童文学」。ロシアの豊かな児童文学の系譜を民話、寓話、作家の創作児童文学、ジャンルとして確立した児童文学に分けて歴史的な変遷を踏まえてのお話があった。ここを踏まえていないとオレイニコフの独創性を理解できないとの意図によるお話だったのだが、大変濃い内容をわかりやすくまとめて伝えてくださり、まさに重厚なスカースカ(お話)を聞くように拝聴させていただいた。

そして続いて「おとぎ話を現実にする」というテーマでオレイニコフ氏のお話が始まる。工業大学を出て、絵の専門の教育は受けていないこと、アニメーションを30年続けていたが、スタジオの閉鎖に伴い絵の仕事に専念することになり、挿絵画家としてのキャリアはまだ11年であるという話を皮切りに、2014年に「アーサー王物語」の挿絵創作の仕事の取り組みを機に、それまで一般的であったお話の世界を華美に表現することに疑問を抱き、「現実」を描こうとする挑戦を始めることにした経緯が話された。

挑戦、戦いという言葉を使いながら、次の作品である旧約聖書の挿絵を紹介しながら、新しい解釈で挿絵を創作していくことへの情熱を語り、カノンを壊す。見方を変える。がとにかく創作のテーマであることを熱く語った。

おとぎ話を現実にする…このことについてオレイニコフは、生身の人間という言葉を使い、リアリズムを追求する、つまりは(すでに編集者による判断を通ったものであるし)残酷なものも残酷なままに表現することであると語った。また、子どものために描いているわけではなく、親のために描いているとも。表現によってはやはり波風も立つことでもあるので、生きた作家の作品は描かないようにしている、と言い会場を沸かせた。

限られた時間であったが、逆に現在のオレイニコフ氏の創作への思い、覚悟がクリアーにストレートに伝わる内容の講演であった。その思いを受け、彼はアーティスト、しかもロシアの、との思いをさらに強く持った。既成概念の打破はアーティストにとってある意味当然ともいえる姿勢であり生き方でもあると思うが、さらにロシアの、となるとそこにどうしても歴史的背景も重ねて受け取らざるをえない。

ある時代、ロシアではそれまでの概念を打ち崩したアートの革命が起こった。ロシア・アヴァンギャルドである。オレイニコフ氏の挑戦、戦い、という言葉の斡旋と情熱に何かそういうことを思い起こさせる匂いを感じてしまったのは、私のまあ思い込みとしても。

ただ、沼野氏の丁寧な児童文学の振り返りはやはり、オレイニコフ氏を理解するには必要だったと思わざるを得ない。そう、オレイニコフ氏のおとぎ話を現実にする、という挑戦こそ、きっとロシアのある時代のアーティストたちからするとまさにおとぎ話であるに違いないだろう。

個人的にはこの挑戦を作品として今後見ていくことできるのは幸せなことだと思っているし、また生身の人間!のロシアのアーティストの話を聞くことができたのも嬉しいことだった。

さあ、オレイニコフは今後どんな挑戦を私たちに見せてくれるのだろうか。ある意味自分がそれを見てどう思うかも楽しみにしていきたいとも思っている。

「芸術家の役割は問うことで、答えることではない」(アントン・チェーホフ) (直)

画像はカランダーシの絵本展示を見てくださる方のために作ったパンフ。裏にはプロフィールなど書いてある、
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